日本では未だ、『死』に対して忌み嫌う方が少なからずいらっしゃいます。
 しかし私たちは生まれる力を見守る者として、同時に死にいく力を看取る者として見守らなければならないと考えています。人は生まれてくると同時に死も約束されているものですから大きな責任を感じます。ここは『お産の森』として新しいいのちが誕生する場所であると同時に『いのちのもり』として一人のいのちが旅立つお手伝いをさせていただく場所でもあることをお伝えしなければなりません。

 「紙に包まれた飴玉の結び目・・・片方は生まれること、もう片方は死ぬことと思ってみて。中に入った飴は生きることそのもの。結び目がしっかりしてたいらきちんと支えられて生きていけるけど、しっかりしてないと不安定で中身がこぼれおちてしまいそう。生きるっていうのは、生まれる事と死ぬ事がきちんと支えられてはじめて安心して生きていけるんじゃないかな・・・。」
 『いのちのバトン』(岩崎書店) の著者、バースセラピストでもある志村季世恵さんはこのように表現されています。(2009年7月15日講談社より単行本出版)

 私はもう片方の結び目の部分を見て見ぬ振りができませんでした。
 17年に渡り大学病院で癌を中心として臨床や研究に従事してまいりました。(もちろん癌ばかりでなくそのほかの婦人科疾患も診ますし、お産も取り上げますのでご安心ください。)そこで培った経験を、最期を迎えた方のQOLを維持していただくために生かしたいという思いと、死にゆく方の居場所を自然に囲まれたこの地に造りたいというのが、ここに開院したもう一つの理由です。
 現代の看取りの殆どが病院または施設で行われています。同じようにお産も病院や産院が主流です。当院もクリニックという一つの施設ですが目指すところは、『みんなのおうち』です。
 昔は『自宅で産まれ、自宅で死んでいく』のが自然の流れでした。現代のように施設が整っていなかった事もその理由の一つですが、今では病院施設も整い、そこにお任せした方が家族にとっては安心できるといった理由もあるでしょう。しかし、当の本人はどうでしょう。あなたなら本当に病院施設内で最期を迎えたいと思いますか?
 実は亡くなっていく殆どの方が死を目前にしたときに『おうちに帰りたい』とおっしゃいます。もちろん、その希望にどこまでお答えすることができるかは私たち医療者だけでなく、ご家族のご理解とご協力が重要になってきます。
 しかし残念ながら、家族は終末期の患者さんの受け入れに対し多くの場合は消極的です。 自宅で最期が過ごせないならば、せめて最後まで家庭的な雰囲気を感じていただきだいと、あえて木のぬくもりや草の緑や土のにおいを近くに感じられる家庭的な環境を提供したいと考えました。そして建築の専門家と試行錯誤を繰り返しこのような建物にたどり着きました。

この造りにはちゃんと理由があります

 例えば、ご本人がお元気な時はデイルームで共にお食事をされたり、おしゃべりを楽しまれたり、動けなくなられても外の空気を吸いたいときは無理なくベッドごと外へ出られるように室内とテラスをフラットに設定し、さらにウッドデッキを広くとりました。これによりベッド上で屋外花見や森林浴も可能です。庭で作業される妊婦さんにベッド上から“ダメ出し”が飛んでくるかもしれません。
 そして最後の時、場合によっては最後のお別れを生前ご本人が過ごされたデイルームに祭壇をこしらえ、みんなでお別れ会をやってみたいと思います。そして最後のご退院の際には、裏口ではなく玄関からお見送りをさせていただきたいと思っております。

 どうかこのような私共の考えをご理解の上、ご来院ください。

 はじめは奇想天外な発想だと驚かれるかもしれません。でもそのうちに、ご来院くださる皆様にこれが『お産の森いのちのもり 産科婦人科 篠﨑医院』であると理解していただければ・・・と考えています。